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漱石の日。1425g

 
漱石は、文科省から博士を授与する通知を受けたが、自分は、それにあらずと断ったのが、今日2-21
 
今から103 年前.
大正5年12月9日
冷たい遺骸となった漱石は、昼頃になると、寝台車に載せられて東京帝国大学医科大学の病理解剖室に運ばれた。長与又郎の執刀で解剖に付されるためであった。
これは、漱石の気持ちをくんだ鏡子の申し出によるものであった。
5年前、末娘の雛子が突然死したとき死因が不明のままに終わった。そのことが、漱石夫妻の心にずっとひっかかりとなっていた。そんなことを夫婦して話していたことや、
科学的思考を重んじる日常の言動からして、遺体を解剖してはっきりと死因や病気の痕跡をつきとめ、医学の将来に役立ててもらうということが、漱石本人の遺志
 
病理解剖室では、漱石の頭部と腹部とが解剖され、詳しく調べられた。執刀する長与の傍らに、真鍋嘉一郎や杉本東造といった医師たち、鏡子の代理としての弟の中根倫(さとし)、門下総代としての小宮豊隆などが立ち会った。
2時間弱の時間をかけて解剖の終わった
重さ1425グラムと、日本人男子の平均よりちょっと重たい漱石先生の脳は、このときの鏡子の決断のおかげで、いまも東大医学部標本室に保管されている。
前頭葉が、発達してシワが、はっきりしているそうだ
 
漱石「心の言葉」
功業は百歳の後に価値が定まる
 
弊社も、
よく考えをめぐらし行動に起こして
働きをよくして
正業を行なって行きたく考えております。
 
 
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